いよいよ7月に入りました。関東地方は早めの梅雨明けで、お客様からも新子を望まれる声が高まっています。
お待たせしました!今年初めて新子を仕入れました!!
今季も新子の仕込みを頑張ります。
#新子 熊本産 221枚/400g
TEL.03-3260-6389
〒162-0825 東京都新宿区神楽坂3-1
いよいよ7月に入りました。関東地方は早めの梅雨明けで、お客様からも新子を望まれる声が高まっています。
お待たせしました!今年初めて新子を仕入れました!!
今季も新子の仕込みを頑張ります。
#新子 熊本産 221枚/400g
名残惜しいのですが、今日は東京に帰ります。
途中、広田湾のイシカゲ貝を見に行きました。今年は6月20日頃から出荷される予定だそうです。
陸前高田の震災遺構と復興まちづくり資料館(以下震災関連についてはコメントを差し控えさせて頂きます)
女川駅前とシーバルピア女川
女川は他の町と違い、防潮堤は必要最低限しか整備していません。駅やショッピングモールからは海が見えるように整備され、住宅地は高台に移転されました。どこからでも海が見えるように整備することにより、海の異変をいち早く発見できるようにして海と共存する復興を選択しました。
「がんばろう!石巻」の看板と日和山公園
ここは2014年3月に初めて訪れた場所です。今回で5回目になります。石巻の看板は移設されて、この一帯は公園整備されています。
ここから東京へは常磐道を使って帰りますが、途中、南相馬SAから広野ICは国道6号におりました。これは去年に続いて2回目ですが、この区間はバイク・歩行者は通行禁止になっています。浪江町以北と富岡町以南のコンビニは営業しています。
双葉町から大熊町にかけてのドライビングレコーダーの画像。未だ7年前と何も変わっていません。
というわけで、東京に帰ってきました。茨城県に入った辺りから雨が降り出してきましたが、概ね良い天気にも恵まれて渋滞に巻き込まれることも無く快適な旅でした。
本日の走行距離:545Km 総走行距離:1,870Km
本日もなぜか起きてしまったので、えぼし荘からの日の出でスタートです。
昨夜のグーグル先生との協議で今日の目的地は陸前高田です。
最初の経由地は「田老」です。「道の駅 たろう」は4月にオープンしたばかりの新しい施設です。
道の駅のすぐ近くに「震災遺構 たろう観光ホテル」があります。その近くには漁協の製氷貯氷施設があり、津波到達点プレートになっています。港を挟んだ向かいには、かつて万里の長城に喩えられた防潮堤の一部が震災遺構として残り、新たな防潮堤の整備が進んでいます。
毎回 田老を通ると訪問していますが、実際に見ると色々な思いが湧いてきます。なんと言っても陳腐になりますので、コメントは差し控えます。
大船渡では、少し寄り道して「不動滝」に立ち寄りました。なんとカーナビが案内してくれない観光地でした。しかも観光客を拒絶しているような場所でした。
その後、碁石岬に立ち寄り、大船渡温泉で休憩です。
「アバッセたかた」に立ち寄りました。昨年、嵩上げ地区の中心地にできた大型複合施設です。とてつもなく広大な範囲を嵩上げして中心部はほぼ完成していますが、まちづくりはまだこれからのようです。
色々な意見があると思いますが、莫大な国費を投入してこれだけ大規模な嵩上げ事業をした場所は他に無いと思います。海沿いを走ってきて見たのは、7年たった今でも多くの町は防潮堤の建設途中でした。ところが、陸前高田には海沿いの広大で安全な土地がすでに完成しています。また、地理的にも東北の大都市である仙台・盛岡のほぼ中央に位置していて、今後 商業・物流の拠点となる可能性を感じました。三陸自動車道の整備も進んでいて、広田湾は海運の拠点にもなりそうです。Amazon・コンビニ・宅配便等の物流拠点または、大企業の東北支社・・・折角造った土地です。有効に利用されて行かれることをお祈りいたします。
で、本日の目的地 毎度お世話になっている「鶴亀鮨」さんに到着しました。予約で忙しいため暖簾も出せず「準備中」のままなのに、次から次へと全国からお客様がご来店です。さすがです!オヤジさんの人柄ですね。「味と人情」の看板に偽りはありません。
お店のある仮設の「未来商店街」は、本来今年の1月で閉鎖される予定でしたが延長され、9月でほんとうに閉鎖されるそうです。しかし、融資などの事情により未だ嵩上げ地への移転の目途が立っていないのが現状なのだそうです。色々と考えさせられることの多い1日でした。
本日の走行距離:233Km
2日目は大間崎の日の出からスタートです。なぜか目覚めてしまいました。
今回の帰路はなるべく高速道路を使わず、海沿いを南下していくこととしました。昨夜、グーグル先生と協議の結果、久慈を目指すことにしました。
まずは、日本三大霊山の一つ「恐山」。今日も青森県とは思えない暖かさでしたが、途中の山道には雪が残っていました。この日は特別な暖かさでったのでしょう。
次は、六ヶ所村原燃PRセンター。この手の施設はどこもPRする気が・・・
続いて、階上(はしかみ)海岸。青森県で一番早く朝日が昇る場所です。180度以上に太平洋が望めます。
お昼には知人の紹介で「磯料理 喜利屋」さんに立ち寄りました。注文したのは「ダイバー定食」と「いちご煮」。決め手は、名前から内容が想像つかないこと?大変美味しかったです。ごちそうさまでした!
久慈の駅前は改修工事中でした。
小袖海岸。皆さんご存じ「あまちゃん」の聖地ですが、時間が遅かった(午後4時半頃)せいか、観光客は一人もいませんでした。
今日の宿は「えぼし荘」にしました。太平洋を一望できる国民宿舎ということが決め手になりました。
本日の走行距離:267Km
今年の東北一人旅は、GWに長期休暇をいただき、「大間」を目指すことにしました。
マグロの代名詞でもある大間には一度行ってみたかったのと、今まで青森県には足を踏み入れたことが無かったのが大きな理由です。
仕事が終わった後そのまま出発するか、翌日の朝ゆっくりと出発するのか・・・毎回悩むのですが、現在の道路情報と渋滞予測をチェックしたところ、今回は深夜に出発した方が良さそうであると判断しました。
後は体調と相談して「SAで仮眠を取れば良い!」という気持ちで北を目指します。
阿武隈PA → 前沢SA → 道の駅 おがわら湖 → 下北名産センター
出発前には石巻から久慈のあたりで1泊するつもりでいましたが、予想以上に順調に走れたので、大間で宿を取ることにして一路大間崎を目指します。
本州の最北端にいることを忘れさせるほど穏やかで暖かい日でした。ただし朝晩は強い風が吹くことが多いそうです。上の海鳥が写っている写真の灯台がある島が「弁天島」と言いますが、その後ろにうっすらと函館が見えています。
隣の大間漁港に行くと、ほとんどがイカ釣り漁船でした。この時期はマグロ漁船はいないようです。
本日の宿は海峡荘新館です。ちなみに自分の部屋は「ぶりの間」でした。
夕食は宿名物のマグロを中心とした海鮮です。群馬から来たというバイクの一人旅の方と色々と話をしました。新潟港から日本海をフェリーで北上してきたそうです。「次回はフェリーも有りかな?」・・・などともう次回の計画を考えながら、お互いの旅の安全を願いつつお開きとなりました。
部屋に戻り、グーグル先生に明日の旅程を相談しながら早めの就寝です。
本日の走行距離:825Km
今回の旅は久慈と陸前高田をゆっくりと楽しんできました。今回で4年目で通算6回目となりましたが、今までの訪問も含めた雑感をまとめてみました。
★久慈(含む小袖海岸) 今回で5回訪問しました。
・初めて訪れたのは14年5月で、あまちゃん(13年4月~9月放映)ブームのすごさで小袖海岸は大混雑でした。もちろん私もあまちゃん目当てでした。
当然、全線開通した三陸鉄道 北リアス線も山手線並みの大混雑で、臨時列車の増発や通常1両編成で運行しているのを増設していました。
小袖海岸は震災の影響もあってマイカー規制されていて、バスで行きました。バスは土日休日は1日1往復のところ、30分に1本と大増発していました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・15年5月 2回目の訪問ですが、あまちゃんブームはまだ続いていました。
マイカー規制は解除されて小袖海岸まで車で行けるようになりました。3代目の海女センターも新設されて、観光の拠点になっていました。例の灯台は立ち入り禁止となっていました。
しかし駅前は相変わらずの状況です。東京だとブームに乗った屋台が出て観光客相手の商売をすると思いますが、東北人らしい慎ましさなのかブームに対する戸惑いさえ感じます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・17年4月 状況は前回と変わりありませんが、そのおかげで16.5にはウニ弁当を、今回はウニ丼にありつけました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・17年8月 今回は初めて夏の訪問になったのでですが、ウニ漁の素潜り実演もあり 雨の降る寒い中でも、前回17年4月よりは小袖海岸の人出はありました。
ただし北リアス線は往復とも全員が座れる程度のお客さんでした。
(一部鉄道ファンの方は運転席後ろに立っていました)
久慈駅~小袖海岸行きのバスの臨時増便も終わってしまい小袖海岸のアクセスがなく、マイカー規制も解除されたので、三陸鉄道のメリットが無くなってしまったのも要因だと思いました。
======================================
★陸前高田
・最初は15年5月に久慈から石巻に向かう途中、折角なので高速道を使わず海岸線を南下していたところ、奇妙な光景を見たのが切っ掛けでした。
町全体がセメント工場になったような巨大なコンベアーが張り巡らされていて、後に陸前高田だったことがわかりました。
このコンベアーは山を切り崩して、その土を嵩上げする場所まで運搬するためのものであったことを後に知りました。嵩上げする面積は広大な広さがあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・次に訪れたのは、翌16年5月でした。久慈から石巻に向かう途中の休憩所で宿を探していたところ、たまたま陸前高田に空室がありお世話になることになりました。
巨大なベルトコンベアーはすべて撤去されていました。
その宿は素泊まりしか無く近くで食事ができるところを紹介してもらったところ、鶴亀鮨さんを含む数店舗を探してもらい向かいました。
鶴亀鮨さんのことはたまたまテレビで見ていましたが、違わぬ歓迎をされました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・次は今年の4月に東京から久慈に向かう途中に、たまたま陸前高田に宿を取ったのですが時間が合わず鶴亀鮨さんには立ち寄れませんでした。
(この時、宮古から北リアス線で久慈に向かう予定でしたが、時間に間に合わず乗れなかったのでした。そのため今回は宮古に宿を取りました。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・今回17年8月は宮古から帰宅の途中で、前回素通りしてしまった鶴亀鮨さんで昼食を取ろうとしたのが切っ掛けでした。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
震災後、三陸には3年前に初めて訪れたのですが、切っ掛けは鮨屋として以前から三陸の魚にはお世話になっており、自分の目で見てみたいという思いでした。
これまで三陸には6回しか訪問しておらず、車で通過するだけの場所の方が多いのですが、石巻~久慈間でも300Kmあります。
被災地域は福島県もありますが、いまだ立入禁止箇所が多く国道6号線で素通りするのが精一杯な状況です。
福島~岩手の海岸線は500Km以上に及びその間に無数の漁港や町があります。1つとして同じ町は無くそれぞれの事情は異なります。
震災から6年が経過して基礎となる工事は概ね終了したように見受けられます。それぞれの町によって復興の考え方は大きく異なります。
・石巻は巨大な防潮堤を築く。
・女川は逆に堤防を築かず海がどこからでも見えるようにして、住居は高台に移転する。
・陸前高田は嵩上げをして、そこに新しい町を築く。
また三陸道を高台に通して防災・復興の大動脈を確保する・・・やっと土台となる工事が各地で終わってきたのかなと思います。
しかし、これから復興の大事な事業が始まります。現在、仮設住宅や仮設商店街で生活してきた場所を、整備が終わった場所に再移転しなくてはならないのです。
それには精神的・身体的・経済的負担が大きいことは想像するにあまりあります。
少し話がずれますが、被災した建物等を震災遺構として残したことにも、今となっては正解だったのか?悩んでいるようです。
被災直後は心情的にも後世に語り継ぐために震災遺構として保存する気持ちは理解できます。
しかし時間がたち現実の生活を第一に考えられるようになると、極めて重い資産になっているようです。
自分も三陸を訪れる度に各地の震災遺構に手を合わせてきました。しかし面白半分に行くのは不謹慎に思い、次第に足が向かなくなった施設もあります。
観光客誘致には極めて難しい問題となることも考えられます。
不謹慎ですが、遺構のそばに大型駐車場や道路を整備し、土産物店や休憩場・防災知識の啓蒙施設・町の情報館・・・を作るぐらいしないと町のためにはなりません。
しかし震災遺構はあまりにも心情的に重たく、観光客誘致の起爆剤になるか疑問ではあります。
すべての遺構は崩壊を防ぐために補修工事も完了し、半永久的に津波の恐ろしさを留めていくことになると思います。今となっては物理的にも心情的にも整理できなくなっています。
そんな中で、陸前高田の「奇跡の一本松」は前向きな象徴でとても良いと思います。この松も手入れする人がいないので、当初10年しか保存しないことが決まっていましたが、町の人の働きかけで保存が延長されることになり、大変うれしいことだと思います。
三陸では多くの人から話を伺えました。そっとしていてほしい人も多くいると思いますが、話してみると「語りたいのかな?」と思うことも多々ありました。それぞれの被災経験を「誰かに聞いてもらいたい!」と思っている人もたくさんいるようです。メディアを通さない生の声は心に残りました。
初めは何気ない思いつきで始まった三陸一人旅ですが、目的を決めずに無計画で出発しても、タブレットとカーナビがあれば何処へでも行ける時代になりました。非効率なルートを通ることも多々ありますが、そこには様々な出会いがありました。逆に綿密な計画をしてイメージを持って出かけると裏切られることになり、こんなに続かなかったのかもしれません。
同情するのでは無く、三陸が楽しいから行く。これからも、たくさんの出会いを楽しみにしています。
とは言うものの、交代のドライバーがいた方が休憩やルート検索・話し相手等の面で良いと思いますよ。ちなみに私は録音したラジオ番組を聴きながらニヤニヤしていました。