八千代鮨

八千代鮨は昭和32年に創業しました 神楽坂本多横丁で頑固に江戸の味を守っています

TEL.03-3260-6389

〒162-0825 東京都新宿区神楽坂3-1

令和2年の新子の季節が始まりました

突然ですが、本日より新子の入荷が始まりました。
舞阪(静岡)産は例年通り高価な初値がつきましたが、天草(熊本)産は初値にしては手の届く範囲の競値だったので仕入れてきました。

500gで146枚あり、一貫5枚付けになります。

例年梅雨の終わり頃は九州地方が豪雨となり、しばらくの間は入荷が不安定になることが予想されます。
新子のサイズは仕入れる毎に大きくなって行きますが、お盆休み頃まで楽しむことが出来ます。
ご予約頂けましたらお取り置きいたしますので、ぜひ今年もお楽しみ下さい。

令和2年6月25日

網戸を設置しました

感染対策として玄関に網戸を設置しました。

換気時に小虫の侵入を防げる効果を期待しています。
お客様にはご不自由をお掛けいたしますが、ご理解ご協力をお願いいたします。

営業時間変更のお知らせ(R2.6.12)

東京アラート解除 及び、ステップ3への移行に伴い、本日より通常営業に戻します。

定  休  日 日曜・祝祭日
営業時間(昼) 11:30~13:00
・   (夜) 17:00~23:00
土曜日は21:00終了

なお、感染拡大防止の観点よりパーティションの設置 及び、従業員のマスクの着用は引き続き行います。
皆様のご理解を賜りますようお願いいたします。

令和2年6月12日 本多横丁 八千代鮨 店主 斎藤幸伸

飛沫防止パーティション

緊急事態宣言が解除されましたが、まだまだ感染防止に気を付けなければならない期間が続きそうです。
当店では本日よりカウンター席をパーティションで区切ることと致しました。

写真では見えにくいのですが、アクリルボードとメニュー立てで作りました。
多少 窮屈になりますが、お客様からは「意外と圧迫感は無く、安心感がある」と評価頂きました。

飲食店・その他の業種の方々は日々の感染対策にご苦労なさっていると思いますが、
かっぱ橋の「かっぱ橋装飾」さんで比較的安価に購入できました。
ご興味のある方はご連絡下さい。

手前に写っているマスクは豊洲市場で購入したものです。
伊藤ウロコさんの手拭いとガーゼを使用して、豊洲仲買人の女将さんが手縫いしたものです。
魚字柄なので長く愛用したいと思います。

お客様にはご不便をおかけいたしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。

営業日変更のお知らせ(R2.5.26)

緊急事態宣言の解除及び、東京都の感染防止対策フェーズ1への移行に伴い
下記の通り営業時間を変更いたします。

定  休  日 日曜・祝祭日
営業時間(昼) 11:30~13:00
・   (夜) 17:00~22:00(土曜日は21:00まで)

引き続きご愛顧賜りますよう、よろしくお願いいたします。
令和2年5月26日 本多横丁 八千代鮨 店主 斎藤幸伸


5/27(水)は臨時休業いたします

コンピュータとの出会い

自分は昔から秋葉原のガード下の雑然とした店の佇まいが大好きでした。何に使うか分からない電気部品を売る小さな店が所狭しと並ぶ光景も、またそこの匂いも大好きで、石丸電気でレコードを買うたびに用も無くそこを通って行き帰りしていました。当時、中学生でカーペンターズのファンでした。
ある時、ダイオードラジオのキットを目にして、中学生でも買える金額だったので半田ゴテと一緒に買って帰りました。組み立てると大好きな匂いは半田のヤニが焦げた匂いだったことが分かりました。
残念ながらこのラジオは感度もチューニングもいい加減だったので、まともに使えるものではありませんでした。しかし電池を使わないのにガサガサとした音が聴こえ、遥か宇宙からの電波を受信しているような気持ちになり、ワクワクしました。それからトランジスタラジオのキットを買ったりして、抵抗器のカラーコードも読めるようになりました。
また、時同じくしてスペースインベーダーが大ヒットして、うちの若い衆と毎日のように喫茶店に通い詰めました。

高校生になったある日、なぜだか経緯はわからないのですが、店のお客様の新婚の里帰りに広島まで一緒に付いて行く事になりました。新婚夫婦と全く他人の高校生が新幹線に乗って、全く知らないお宅に2〜3泊すると言う何とも奇妙な体験ですが、察しの悪い高校生でも場違いなのは理解していました。
そこでその高校生はキオスクに飛び込み、一番難しそうな本を2〜3冊買いました。時間を潰す対策にと無い知恵を絞った結果です。そのうちの1冊が人生を変えるきっかけになりました。マイクロコンピュータについて書かれた本で、TK−80と言うマイコンキットの宣伝のような内容でした。
すぐに「マイコンが欲しい!」とのめり込みましたが、高校生には大変高価なものでした。89,500円!今でも覚えています。しかも組み立てキットで自分で半田付けしなくてはならないハイリスクなものでした。おまけに電源やケースは別売りで10万円以上の出費を覚悟しなくてはならず、バイト禁止の高校生には月々の小遣いとお年玉をコツコツと貯めるしか方法がありませんでした。

1年ぐらい軍資金を蓄えていた時、嬉しいニュースが飛び込んできました。TK−80Eと言う廉価版の発売が決まったのです。発売元は新日本電気、今のNECだったのですが、予想以上の反響があったため、セラミックパッケージだったCPUやメモリーをプラパッケージに変更して67,000円に価格を抑えたキットを発売したのです。これでも清水の舞台ですが、飛び降りても死なないぐらいの価格になったので直ぐに飛び付きました。
因みに、TKはTraining kitの略で、80はi8080と言うCPUを使っていた事の略、EはEconomy版と言うことでした。つまり8bitCPUを使ったコンピュータの練習機という意味でした。当時のNECは電子部品を販売する方法を模索していて、簡単なコンピュータキットを広く一般販売してユーザーの反応を知るためにこのキットを売ることにしたと後に聞きました。
このコンピュータは奇跡的に何のトラブルも無く無事完成させることが出来ました。このマシンは電卓のような8桁のLEDに文字や数字を表示するか、ちょっと改造をしてスピーカーを繋ぎ、ビープ音と呼ばれる単純な音を鳴らす程度の事しか出来ませんでした。しかし、見聞きすること全てが今まで経験したことが無く貪欲に情報を集めました。

雑誌などのサンプルプログラムを徹夜で16進キーボードで打ち込んだりしました。楽譜を16進数に変換して数日かけて打ち込み、山口百恵のコスモスの自動演奏を完成させました。得意になって母親に聞かせた感想が「通りゃんせ?」でした。確かに交差点の目の不自由な方のために鳴らしている音によく似たチープな音でした。しかしその後しばらくの間、親とは口をききませんでした!
当時、秋葉原のBit-inと言う日電のコンピュータショップが一番の情報源でした。このショップが入る秋葉原駅前にあるビルには時間を見つけては通いました。このショップの隣にはAPPLE-Ⅱと言うコンピュータのデモ機を展示していました。このマシンは、テレビ画面を繋いでゲームセンターにあるようなゲームを実演していました。当時としては画期的なマシンでしたが、40万円ぐらいしたと記憶しています。これは今のMacの先祖に当たるマシンです。因みにTK-80はその後PC-9801として日本で爆発的に売れたマシンの先祖になります。

自分は理系の大学への進学を希望していましたが、親は家業を継がせるために経営学を学ばせたい思いでした。そのため文系大学へ進学することになりましたが、ささやかな抵抗で電算機実習のある学部を選びました。しかしこの電算機実習は自分が思い描いていたものとは違いました。当然ですが、文系大学なので自分が興味のあるハードの知識よりも、ソフトの初歩の初歩を習うだけだったのです。その間、金欠学生は友人から色々なマシンを譲り受けましたが、あまり進展は無く部活にのめり込みました。そのため卒業はしたものの、親が希望した経営学の知識は残念ながら記憶に残っていません。時効だと思うので白状すると、机に覚えて貰ったので試験では最低限の答案を提出できました。

しかし転機が訪れたのは、部活の先輩がとあるソフトハウスに就職していて、自分がコンピュータに興味があることを知っていたので引っ張ってくれたことでした。就活せずに家業を継ぐつもりでいましたが、親に直訴してこの会社に就職しました。
しかし、またしても自分の思い描いていたものとは違っていました。パソコンと大型汎用コンピュータは50ccのバイクと大型トレーラの違いのようなものでした。パソコンは一人で何でも作りますが、会社で行うソフト開発は多くの期間と大勢の人で作り、一度に大量のデータを処理するため少しのエラーが命取りになります。スペースインベーダのようなものを開発すると思い就職しましたが、全く違う会社であることは直ぐに理解しました。しかしこちらは嬉しい誤算で、当時の最先端の技術を使った大型コンピュータを直に使えました。

パソコンの世界でも日進月歩で進化していきました。自分で新品パソコンを初めて購入したのはエプソンのPC-286と言うマシンで、当時の大ヒット機NEC PC-9801の互換機でした。80286と言う16bitのCPUを搭載していましたが、Windows3.1を動作させるには32bitのCPUが必要なため、CPUをi486に載せ替えてメモリも2Mバイト増設しました。
この頃のパソコンが一番楽しかったと思います。手をかけると目に見えて早くなり、自分で作ると既製品の半額程度で作れました。当時は飽くまでも趣味の道具で、動かなくなっても誰も困りませんでした。しかし今は生活必需品となり動かなくなると家族中に迷惑が掛かり、仕事にも支障を来します。自動車に似ています。昔は慣らし運転を上手にしたり、手を掛けると目に見えて早くなりました。今では慣らしの必要も無く、コンピュータ制御で素人は触れなくなってしまいました。こちらも趣味の道具では無くなってしまったように思います。

ダラダラと昔の記憶を書き連ねましたが、コロナ騒ぎで暇な時間が多くキラキラとした昔の記憶が蘇り、皆様の暇つぶしになればと思い書き残しました。長文・乱文・ミスタイプ等、失礼いたしました。

営業日変更のお知らせ(R2.4.29)

新型コロナウイルスに伴う東京都の「ステイ ホーム週間」に呼応して、神楽坂通り商店会では大型連休中の自主休業を呼びかけています。
当店もこの趣旨に賛同して、大型連休中 休業することといたしました。
再度の変更になりますが、ご理解頂きますようお願いいたします。

国や東京都等の要請により営業時間を変更いたします。
最新情報は下記をクリックして下さい。

営業日変更のお知らせ(R2.5.26)

令和2年4月29日 本多横丁 八千代鮨 店主 斎藤 幸伸

 

営業日変更のお知らせ(R2.4.16)

新型コロナ感染症の流行に伴い、下記の通り営業日/時間を変更いたします。

定休日:水曜日(ただし、祝日の場合は木曜日に振り替えます)
営業時間:12時~20時(酒類の提供は19時に終了します)
ランチメニューは14時まで提供しますが、引き続き20時まで通常営業します。

感染防止対策として、お持ち帰りのご用意をしています。また、近隣へはお届けいたします。
電話(03-3260-6389)をいただけましたら、お待たせせずお渡しできます。是非ご利用ください。

「お持ち帰り」やってます

国や東京都等の要請により営業時間を変更いたします。
最新情報は下記をクリックして下さい。

営業日変更のお知らせ(R2.5.26)

本多横丁 八千代  店主 斎藤幸伸 令和2年 4月16日

衛生管理の取り組みについて

緊急事態宣言に伴い、当店では衛生管理の見直しを行い営業の継続をしております。ご理解頂きますようお願いいたします。

1.お客様用アルコールジェルを用意しました

下まで十分に押し込んで下さい。少し多めに出ますが、ワンプッシュが適量です。
ジェル状ですが、すり込むとサラサラになります。ご来店時にご協力をお願いいたします。

2.カウンタ・椅子等の消毒を徹底します

次亜塩素酸水です。食品添加物として認定されています。
カウンターや椅子、及びドアの取っ手等を定期的に消毒しています。

3.調理場内をアルコール消毒しています

まな板や包丁の消毒に使用しています。食品添加物の認定がされていますので、食品に掛かってても安心です。
エチルアルコールが主成分なので無味無臭です。食品の味を損ないません。

4.パーティション及びカーテンを設置しました

アクリルボードとビニールカーテンを設置しました。

5.東京都の要請に従い営業時間を変更しました

これ以外にも隣のお客様と1席以上の間を取るようにしています。ご理解をお願いいたします。
その他気になる点がありましたら、お気軽にお申し付け下さい。

本多横丁 八千代鮨 店主 斎藤幸伸

癒やし

今日数年ぶりに街の床屋さんに行きました。そこで感じたことを書き残します。少し長文となります。ご容赦下さい。この時期なのでコロナネタもありますが、少し違うことを感じました。
このご時世で床屋に行くのも少しためらいがありました。「あと1~2週間は我慢できるかな?」という気もしました。しかし数週間で状況が好転するとも思えないので、今行く方がベストじゃ無いかと思ったのです。

ここ数年、散髪は格安店に行ってました。安い・早いに魅力を感じたからと言うのもありますが、他にもいくつか理由がありました。
朝風呂に入るので、床屋で洗髪するのが無駄に感じていました。
また、顔剃りも幼稚園の頃、切れたことがあり軽いトラウマになっていました。
しかし直接の理由は、予約して数時間待って散髪に1時間位かかるので時間が取れないことがあり、試しに格安店に入ったのが切っ掛けでした。自分は床屋を変えるのに抵抗があるのですが、洗髪や顔剃りが無くても意外と違和感が無かったので、格安店に通うようになった次第です。

今日行った床屋さんは、以前に通っていたお店です。まだ営業しているか不安でしたが、予約の電話をすると聞き覚えのある声がしました。何時から空いているかを確認すると「この時期なのでいつでもどうぞ!」とも事でした。このお店も感染対策で同一時間帯は1人限定で営業しているとのことでしたが、今日は予約が入っていないとのことです。すぐに伺いますと言って急いで向かいました。

以前このお店はイスが5つ位ある中型店でメイン通りに面した立地でした。店には賞状や盾がたくさん並んでいる繁盛店でした。予約は受け付けて無く、待合室はいつも満席で、もちろんカットする席も満席でした。みんな待合室で漫画などを読みながら1~2時間待っていました。しかしこの店は10年ぐらい前に住宅街に引っ越しイスが2席の小さな街の床屋さんになりました。

少し緊張しながら席に座りお頭を刈ってもらうと、すぐに懐かしい音が聞こえました。店には小さい音量でクラシックが流れていますが、ハサミの音が心地よいのです。格安店と何が違うのか分かりませんが、このハサミの音はこのご主人特有のものなのか癒やされるのです。色々違いを考えたのですが、格安のお店はハサミの音がせわしないのです。また、バリカンを多用するのでモーター音がしていることが多いのかもしれません。刈り方も格安店は1度切ったところはもう切りませんが、ご主人は全体をチェックしながら左右に移動しながらバランスを整えているようです。

一通り切り終わるとちょいと苦手にしていた洗髪です。しかし、優しい指使いで頭皮をマッサージしながら洗髪してくれます。次はもう一つの苦手な顔剃りです。これも剃り終わったあとに化粧水をつけるのも顔のみならず、顔面から頭皮・首や肩までマッサージをしていきます。苦手なことばかり書きましたが、床屋さんのマッサージは大好きでした。追加料金でも延長してもらいたいぐらいです。数年前と同じ手順で一連の儀式が行われていきます。
儀式という表現をしたのも、このお店特有の所作があります。今でも一番不思議なのが顔剃りのあと、たぶんアルコールと思われるガーゼを顔にかけます。必殺仕事人で濡れ手拭いを顔にかけて暗殺する場面を見たことがありました。これを連想して「儀式」と言ってます。
一連の手順が以前と全く同じ所作で進行していきましたが、長い間来なかった間に新しい儀式が追加されていました。最後に耳掃除をしてくれるようになったようです。こちらも儀式という表現をしたのは、同じく必殺仕事人で耳に畳の縫い針を刺して暗殺するシーンを連想してしまったためです。これは突然の儀式で戸惑ってしまい良く覚えていませんが、とても癒やされました。
苦手にしていた所作も毛髪や頭皮に必要な作業なのでしょう。

このお店は格安のヘアーサロンが出てくる遙か前に今の場所に移ってきました。今から思うと、行くごとにお客さんが少なくなってきたのを感じていました。最後の頃はほとんど待ち時間なく頭を刈ってもらえました。しかし、今のお店になるとご主人が1人になり、予約制になったので中々時間が合わないことが出てきました。

久しぶりにご主人に散髪してもらい、早い・安いの代償で癒やしも無くなっていたことに気がつきました。ひと月に1度のことで、この癒やしの時間も切り捨てていました。癒やしの代償としての数千円を高いと思うか安いと思うかは人それぞれだと思いますが、自分の仕事も同じだと思わされました。
もちろん自分の店も衛生管理を今まで以上に注意して営業を続けています。営業を続けるか、休業するかは今でも悩んでいます。お客様にも家族にもリスクがあるのは承知しています。
今の時期、気持ちが荒んでくる方も多いと思います。うちの店を選んでご来店頂いたお客様にはこの癒やしも提供していこうと思わされました。

帰り際にご主人から「今回初めてですか?」と問いかけられました。自分も握っているうちに「あれ?この人初めてじゃ無い!」と気づくことがあります。顔を覚えて無くでも、注文の癖で以前の記憶が蘇ることが多々あります。おそらくご主人も、髪の癖などで以前来ていたことが分かったのかもしれません。

長文・乱文・誤字・タイプミス失礼いたしました。

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