かねてより自分の目で見てみないとと思っていましたが、震災後3年を過ぎて初めて被災地を訪問しました。実は昨年にも訪問する機会はあったのですが、被災された方々に失礼になりそうな気がして躊躇していました。目的地をアマちゃんで注目されている久慈にするか最後まで迷いましたが、あまりの遠さに断念して、その時気になっていた石巻に目的地を決めました。そこまで決まれば後はi-Padに教えてもらえば良いと思い、何も下準備無しで取りあえず石巻に行くことにしました。交代運転手か、せめてナビが同乗すれば心強いと子供達やカミさんに計画を話すと断られたので、1人で行くことにしました。翌朝出発するつもりでいましたが、寝る気になれなく「途中のSAで仮眠すれば良い」と思い午前2時に東京を出発しました。
丁度中間ぐらいのSAに休憩施設が有る事が分かり、そこで仮眠を取るつもりで走って行きましたが満車で駐車できず、次のSAで小腹が空いたので食事を兼ねて休憩しました。休憩中に調べ、最初の目的地を「日和山公園」に決めました。空が明るくなってきたこともあり、行けるとこまで行ってしまうことにしました。
仙台を過ぎたあたりから雪が降り出しチェーン規制が出ていましたが、何とかチェーンを着けずに石巻に到着しました。しかし降雪で寒く車から降りる気になれず、休憩施設を探すと温泉が併設された道の駅「上品の郷」があり、風呂に入りリフレッシュしました。
初めのうちは「意外と復興されてるのかな?」という感じでしたが、それは間違いであることに直ぐに気が付かされました。冷静に考えればわかる事ですが、復旧は幹線道路(国道)から進められ、しかも3年も経っているので瓦礫は撤去されています。車で通り過ぎると普通の地方都市と変わりません。
それに気付かされたのは、丁度昼時になったので立ち寄ったラーメン屋の店主の話の中で「東京の人は忘れてしまったんでしょ?」と言う言葉でした。義援金も大切ですが、自分は払ったことで義務を果たした気になっていたのかもしれません。一人でも多くの人が自分の目で見て心に刻み付け、いつまでも忘れない。TVで見て知ってるつもりになっていた自分を恥じました。この言葉が被災地で被災者から聞いた最初の言葉です。雪も止んで日が出てきたので、 あらためて日和山公園を目指しました。
日和山公園には震災前の写真が掲示されていて、以前の景色と現在の状態が一目でわかるようになっていました。また、ボランティアと思われるおじさんが当時の状況を語っていて、まわりの人が熱心に耳を傾けていました。
その後、日和山公園からすぐの所に設置されている「がんばろう!石巻」の看板の所に行きました。
ここも瓦礫がないので広大な空き地に見えますが、足下を見ると家の基礎が残っていて、住宅地であったことがわかります。
2日目につづく
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