今日は帰宅の日。名残惜しいですが海岸線を南下しながら、東京を目指します。途中、今まで訪れていた場所などにも立ち寄りながら、ゆっくり帰る予定です。
三陸道の整備もだいぶ進んできましたが、まだ部分開業です。三陸道の松島以北は無料で通れます。
でも、ナビは案内してくれないので標識だけが頼りです。
車からの眺めでの感想は、被災6年となり、復興が足踏みしているように思えました。
昨年との変化があまり感じ取れないのです。
この理由は後になって分かるのですが。
陸前高田に差し掛かるのはお昼過ぎだとナビ君が教えてくれたので、
昨年訪れた「鶴亀鮨」さんで昼食とする事とし向かいました。
鶴亀鮨さんに着くと暖簾が出てなく「休みか(>_<)」と思いました。
仕込み場の扉が開いていたので、挨拶だけと思い「お休みですか?」と声かけしたところ
「やってますよ!」の声がしました。
覚えているかな?と、恐る恐る入ると「あれ!神楽坂の八千代鮨さんだよね!」の声。
昨年1回しか来てないのになぜ?とうれしく思っていると「昨日、東京に電話したのに出なかったよね!」
と追い打ちをかける御言葉!!
続けて「雑誌に出てたでしょ!だから迷惑かなと思ったんだけど思い切って電話したんだよ」
(ちなみに、相手のセリフは東京弁に変換しています)
いっぺんに色々と話されて説明して頂いたのですが要約すると
某漫画誌に「イシカゲ貝」が出ているのを、ある北海道の人が見つけた
→その人が陸前高田の漁師に伝えた
→その漁師が鮨屋に来て大将に雑誌を見せた
→大将がそこに出ている東京の鮨屋は俺の友人だ!と言う
→じゃあ証拠を見せろと言うことで東京に電話した・・・というワケでした。
これも東京弁に翻訳していますが、大将の説明と一部相違があるかもしれません。
大将からは「イシカゲ貝」を宣伝してくれてありがとう!と言われてこちらが恐縮する次第でした。
いろいろと話をしていたところ、ヒョンな事からイシカゲ貝の生産者さんと連絡を取っていただき、明朝の水揚げを見せてもらえることになってなってしまいました。
なので、急きょ陸前高田にもう1泊する事になりました。ところが宿を探すもどこも満室か休業で困っていると、「うちに泊まっていけば?」との御言葉を頂き、厚かましくもお世話になることになりました。
左の写真は何とか鮫の心臓とか。鮮度も良く臭みがなく美味しく頂きました。
今年でこの仮説商店街の閉鎖が決定していて、この店も来年には、かさ上げした新しい商業地に移転する予定です。
しかし様々な理由で悩んでいるようです。
被災された市町村が復興を目指して計画をして工事を進めて来ましたが、6年が経過し事業が大詰めを向かえると現実が待ちかまえています。
金銭面でも既に大きな借金をしている上にまた借金をして返していけるのか?
そもそもお客さんや他の商店も戻ってくるのか?
自分の店だけが戻っただけでは商店街はできません。そもそもお客さんとなる住宅地にも戻ってくれないと商店の営業は成り立ちません。
被災地を見に来る観光客頼みでは永続的な経営は成り立ちません。・・・・・
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