八千代鮨

八千代鮨は昭和32年に創業しました 神楽坂本多横丁で頑固に江戸の味を守っています

TEL.03-3260-6389

〒162-0825 東京都新宿区神楽坂3-1

#三陸一人旅

三陸一人旅(二日目) あまちゃんに会いに来ました

今日は前回失敗してしまった、三陸鉄道 北リアス線の旅を行います。そのために昨日は遅くなったにも関わらず宮古に宿を取ったのでした。

昨日ガンバってもらった愛車にも、今日はしっかり休養を取ってもらうために駅前駐車場でしばしの別れです。
この駅前駐車場に入れて三陸鉄道を利用すると駐車場代が1日500円になるのも決め手になりました。
また三陸鉄道の北リアス線には土休日の一日乗車券があり、宮古~久慈間 通常3,700円が2,500円になります。

この日の運転手さんは若い女性でした。隣には指導教官なのでしょうか、年配の男性が座っていました。北リアス線はワンマン運転なので、停車すると運賃の受取も運転手さんが行います。

残念ながら雨のため景色は楽しめなかったのですが、1.5時間程で久慈に到着しました。

ここで困ったことに小袖海岸行きのバスが一日1往復しか無く、行きのバスには間に合うのですが、海女の実演を見ると帰りのバスが無いことがわかりました。
選択肢は
1.小袖海岸行きを諦め駅前をぶらぶらした後、宮古に引き返す。
ただし、帰りの電車は30分後で次はその2時間後になります。
2.小袖海岸に行き、海女の実演を諦め帰りのバスで戻ってくる。
3.小袖海岸に行き、海女の実演を見てタクシーで帰る・・・
悩んだ末「3」を選択し、バスの時間まで駅前を散策します。

そんなこんなで、小袖海岸に到着です。

ゆいちゃん?潮騒のメモリーズ?

いよいよ海女の実演です。こちらは、あきちゃんと夏ばっぱ

終わった後は、捕れたての販売です。満足して帰りました。

少し見辛いですが、帰りの電車はお座敷列車とすれ違いました。潮騒のメモリーズは海女の格好をしていました。

おまけですが、帰りの電車が空いていたので、ボックスシートを占拠していたところ、若い女性3人組と相席になってしまいました。もちろんお互い寝たふりしていたので、一線は越えていません。それと証拠写真もありません。

そんなワケで宮古に連泊となりました。

三陸一人旅(一日目) とにかく宮古まで (2017.8.13)

前回は今年のGWに1泊2日の強行軍で不完全燃焼だったので、またも懲りずに三陸にやってきました。

今までの経験上、連休初日の深夜に出発すると大渋滞に巻き込まれるので、しっかり寝てから朝出発することに決めて、後はいつも通りのノープランの旅としました。
寝る前に渋滞情報をチェックすると東名道・中央道は渋滞が始まっているものの、東北道・常磐道はオールクリアなので、安心して就寝しました。

昨夜遅かったにも関わらず、6時に起きてしまい再度渋滞情報をチェックすると、東北道にも事故渋滞が始まっていたので常磐道ルートに決定し、ゆっくりと入浴&荷造りをしていると7時を回ってしまい、これが間違いでした!
みんな考えることは同じようで、今年の東北道・常磐道組は早朝発が多く渋滞が始まってしまいました。

途中のSAで初日の目的地を宮古に決定して、競走馬と一緒に渋滞に巻き込まれながら気ままな旅と思っていると、ドンドン渋滞が伸びてしかも渋滞の先には事故渋滞となってしまい、到着時間の見当が付かない状態になってしまい、宮古に到着したのは日付が替わりそうな時間となってしまいました。

今年は夜中に出発して仙台あたりで仮眠を取るのが正解だったようです。

石垣貝をご存じですか?

本当の名前は「エゾイシカゲ貝」と言い、茨城から北に生息します。天然物はほとんど収穫されず、市場には流通していません。

陸前高田で養殖が成功して、平成20年頃より築地に出回るようになり、「石垣貝」として流通するようになりました。仲買人によると、築地の人間が「イシカゲ」を「石垣」と聞き間違えたことで築地ではこう呼ばれているとのことです。

ところが、平成22年のチリ地震の津波・そして平成23年の北日本大震災の影響で壊滅的な被害を受け、養殖施設もろとも貝自体も全て流失してしまったそうです。
その後三陸の方々の努力により養殖施設が復興され、平成26年に出荷が再開されるようになりました。

貝類の仕入れが難しくなる時期に大変甘みがあって美味しい貝なので、当店でも平成20年頃より扱うようになりました。食べる復興支援として当店ではこれからも石垣貝を応援していこうと思っています。
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東北一人旅 1日目 (2016.5.1)

毎年の恒例になりつつある東北一人旅も今年で3回目になりました。
今回は、「陸前高田」「女川」「石巻」の復興スタイルが大きく違うと聞き、実際に自分の目で見て出来れば土地の人の話を聞きたいという思いで出発しました。
今年は4/30に店の片付けが終わり、寝て起きてから出発するつもりでしたが、毎回のことですが遠足に行く小学生のように寝付かれず、そのまま出発してしまいました。

午前1時に東京を出発して東北自動車道を北上し、安達太良SA・長者原SA(仮眠)・北上金ケ崎PA・岩手山SA(朝食)を経由して、午前11時頃小袖海岸に到着しました。

到着しての第一印象は「あまちゃんブームが終わってしまったのかな?」という思いでした。久慈から小袖海岸に行く道が拡幅工事中で、細い山道に迂回しなければならないのも一因になっているようですが、海女センターも寂しく観光客もまばらで土産物販売もほとんど無い状況でした。
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上の写真は2014.5.4(左)と2015.5.1(右)です。

海女センターの建物も2014には復旧していませんでしたが、まめぶ汁や土産物屋さんには長蛇の列が出来ていました。また、この頃はマイカー規制で小袖が浜にはバスで行きました。

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おかげで、3年目にして始めてうに弁当にありつけました。

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まだお昼過ぎなので少し南下して宿を取ろうと思い、陸前高田近辺で宿を探し「民宿343イン矢作」さんに予約が取れました。
ただ、GW中は食事が作れないとのことで、近くに飲食店があることを確認して向かいました。この宿は復興作業の方々が常宿にしているそうで、休日は帰省するので、食事の用意をしていないとのことでした。
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そして宿の方に仮設商店街「陸前高田未来商店街」まで送って頂き、陸前高田唯一の鮨屋「鶴亀鮨」さんに入りました。偶然入ったのですが、ここのお鮨屋さん以前「探検バクモン」で見たことがありました。
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そして人生初の「素魚の踊り食い」
意外と癖もなく・・・でも、噛まないと飲み込めないので・・・戴きました(^-^;
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最初に紙テープ攻撃を受け、いきなり感謝状を頂き、申し訳ありませんが「少々面倒な方かな?」という思いもしましたが、歓迎されて嫌な気持ちにはなりません。一瞬で懐に飛び込まれてしまいました。
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最後の写真が返信用の封筒に300円入っていて「帰ってから買った宝くじを送って欲しい」というものでした。自分のお金でなので自分で買っても同じなのに、クジの当たり外れよりも「陸前高田を忘れないで欲しい!」という思いからのアイデアでは無いかと思いました。

ここの親父さんは、アイデアマンでサービス精神が旺盛でした。色々な話を聞かせてもらいましたが(少し理解できない単語もありましたが)、折角来てくれたお客さんとの「縁」を大切につなげたいという思いを感じました。「頑張ってね」よりも「頑張ってるね!」と言って欲しい!実際に見に来て話を聞いて欲しいのだと思います。

たくさん頂いてタクシーを呼んで欲しいと伝えたところ、「俺が送っていくよ!」と。他にもお客さんがいるので「結構です」と言っても「良いから 良いから」と。お言葉に甘えて送ってもらいました。ごちそうさまでした。そして色々なお話をありがとうございました。頑張ってるね!

本日の走行距離 約850Km

今年も東北に行ってきました (2016.5.1-3)

今回で3年目になりましたが、5/1(日)~3(火)に東北一人旅に行ってきました。
毎回ノープランで巡るのですが、今回は当初の目的地を「久慈」と「石巻」に定めて出発し、結果 以下の行程になりました。

1日目 東京~久慈~陸前高田(泊)
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2日目 陸前高田~女川~石巻(泊)
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3日目 石巻~福島~東京
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以下備忘録的に書き残します。

石巻訪問 (2014.3.21)

かねてより自分の目で見てみないとと思っていましたが、震災後3年を過ぎて初めて被災地を訪問しました。実は昨年にも訪問する機会はあったのですが、被災された方々に失礼になりそうな気がして躊躇していました。目的地をアマちゃんで注目されている久慈にするか最後まで迷いましたが、あまりの遠さに断念して、その時気になっていた石巻に目的地を決めました。そこまで決まれば後はi-Padに教えてもらえば良いと思い、何も下準備無しで取りあえず石巻に行くことにしました。交代運転手か、せめてナビが同乗すれば心強いと子供達やカミさんに計画を話すと断られたので、1人で行くことにしました。翌朝出発するつもりでいましたが、寝る気になれなく「途中のSAで仮眠すれば良い」と思い午前2時に東京を出発しました。
丁度中間ぐらいのSAに休憩施設が有る事が分かり、そこで仮眠を取るつもりで走って行きましたが満車で駐車できず、次のSAで小腹が空いたので食事を兼ねて休憩しました。休憩中に調べ、最初の目的地を「日和山公園」に決めました。空が明るくなってきたこともあり、行けるとこまで行ってしまうことにしました。

仙台を過ぎたあたりから雪が降り出しチェーン規制が出ていましたが、何とかチェーンを着けずに石巻に到着しました。しかし降雪で寒く車から降りる気になれず、休憩施設を探すと温泉が併設された道の駅「上品の郷」があり、風呂に入りリフレッシュしました。

初めのうちは「意外と復興されてるのかな?」という感じでしたが、それは間違いであることに直ぐに気が付かされました。冷静に考えればわかる事ですが、復旧は幹線道路(国道)から進められ、しかも3年も経っているので瓦礫は撤去されています。車で通り過ぎると普通の地方都市と変わりません。
それに気付かされたのは、丁度昼時になったので立ち寄ったラーメン屋の店主の話の中で「東京の人は忘れてしまったんでしょ?」と言う言葉でした。義援金も大切ですが、自分は払ったことで義務を果たした気になっていたのかもしれません。一人でも多くの人が自分の目で見て心に刻み付け、いつまでも忘れない。TVで見て知ってるつもりになっていた自分を恥じました。この言葉が被災地で被災者から聞いた最初の言葉です。雪も止んで日が出てきたので、 あらためて日和山公園を目指しました。

日和山公園には震災前の写真が掲示されていて、以前の景色と現在の状態が一目でわかるようになっていました。また、ボランティアと思われるおじさんが当時の状況を語っていて、まわりの人が熱心に耳を傾けていました。

その後、日和山公園からすぐの所に設置されている「がんばろう!石巻」の看板の所に行きました。

ここも瓦礫がないので広大な空き地に見えますが、足下を見ると家の基礎が残っていて、住宅地であったことがわかります。

つぎに女川に立ち寄りました。

こちらはJR野蒜駅です。

2日目につづく

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