まだ寒い日が続いていますが、毎年好評の「神楽坂をどり」の案内が一足早く届きました。
平成30年4月14日(土) 会場:神楽坂劇場
TEL.03-3260-6389
〒162-0825 東京都新宿区神楽坂3-1
今回の旅は久慈と陸前高田をゆっくりと楽しんできました。今回で4年目で通算6回目となりましたが、今までの訪問も含めた雑感をまとめてみました。
★久慈(含む小袖海岸) 今回で5回訪問しました。
・初めて訪れたのは14年5月で、あまちゃん(13年4月~9月放映)ブームのすごさで小袖海岸は大混雑でした。もちろん私もあまちゃん目当てでした。
当然、全線開通した三陸鉄道 北リアス線も山手線並みの大混雑で、臨時列車の増発や通常1両編成で運行しているのを増設していました。
小袖海岸は震災の影響もあってマイカー規制されていて、バスで行きました。バスは土日休日は1日1往復のところ、30分に1本と大増発していました。
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・15年5月 2回目の訪問ですが、あまちゃんブームはまだ続いていました。
マイカー規制は解除されて小袖海岸まで車で行けるようになりました。3代目の海女センターも新設されて、観光の拠点になっていました。例の灯台は立ち入り禁止となっていました。
しかし駅前は相変わらずの状況です。東京だとブームに乗った屋台が出て観光客相手の商売をすると思いますが、東北人らしい慎ましさなのかブームに対する戸惑いさえ感じます。
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・17年4月 状況は前回と変わりありませんが、そのおかげで16.5にはウニ弁当を、今回はウニ丼にありつけました。
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・17年8月 今回は初めて夏の訪問になったのでですが、ウニ漁の素潜り実演もあり 雨の降る寒い中でも、前回17年4月よりは小袖海岸の人出はありました。
ただし北リアス線は往復とも全員が座れる程度のお客さんでした。
(一部鉄道ファンの方は運転席後ろに立っていました)
久慈駅~小袖海岸行きのバスの臨時増便も終わってしまい小袖海岸のアクセスがなく、マイカー規制も解除されたので、三陸鉄道のメリットが無くなってしまったのも要因だと思いました。
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★陸前高田
・最初は15年5月に久慈から石巻に向かう途中、折角なので高速道を使わず海岸線を南下していたところ、奇妙な光景を見たのが切っ掛けでした。
町全体がセメント工場になったような巨大なコンベアーが張り巡らされていて、後に陸前高田だったことがわかりました。
このコンベアーは山を切り崩して、その土を嵩上げする場所まで運搬するためのものであったことを後に知りました。嵩上げする面積は広大な広さがあります。
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・次に訪れたのは、翌16年5月でした。久慈から石巻に向かう途中の休憩所で宿を探していたところ、たまたま陸前高田に空室がありお世話になることになりました。
巨大なベルトコンベアーはすべて撤去されていました。
その宿は素泊まりしか無く近くで食事ができるところを紹介してもらったところ、鶴亀鮨さんを含む数店舗を探してもらい向かいました。
鶴亀鮨さんのことはたまたまテレビで見ていましたが、違わぬ歓迎をされました。
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・次は今年の4月に東京から久慈に向かう途中に、たまたま陸前高田に宿を取ったのですが時間が合わず鶴亀鮨さんには立ち寄れませんでした。
(この時、宮古から北リアス線で久慈に向かう予定でしたが、時間に間に合わず乗れなかったのでした。そのため今回は宮古に宿を取りました。)
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・今回17年8月は宮古から帰宅の途中で、前回素通りしてしまった鶴亀鮨さんで昼食を取ろうとしたのが切っ掛けでした。
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震災後、三陸には3年前に初めて訪れたのですが、切っ掛けは鮨屋として以前から三陸の魚にはお世話になっており、自分の目で見てみたいという思いでした。
これまで三陸には6回しか訪問しておらず、車で通過するだけの場所の方が多いのですが、石巻~久慈間でも300Kmあります。
被災地域は福島県もありますが、いまだ立入禁止箇所が多く国道6号線で素通りするのが精一杯な状況です。
福島~岩手の海岸線は500Km以上に及びその間に無数の漁港や町があります。1つとして同じ町は無くそれぞれの事情は異なります。
震災から6年が経過して基礎となる工事は概ね終了したように見受けられます。それぞれの町によって復興の考え方は大きく異なります。
・石巻は巨大な防潮堤を築く。
・女川は逆に堤防を築かず海がどこからでも見えるようにして、住居は高台に移転する。
・陸前高田は嵩上げをして、そこに新しい町を築く。
また三陸道を高台に通して防災・復興の大動脈を確保する・・・やっと土台となる工事が各地で終わってきたのかなと思います。
しかし、これから復興の大事な事業が始まります。現在、仮設住宅や仮設商店街で生活してきた場所を、整備が終わった場所に再移転しなくてはならないのです。
それには精神的・身体的・経済的負担が大きいことは想像するにあまりあります。
少し話がずれますが、被災した建物等を震災遺構として残したことにも、今となっては正解だったのか?悩んでいるようです。
被災直後は心情的にも後世に語り継ぐために震災遺構として保存する気持ちは理解できます。
しかし時間がたち現実の生活を第一に考えられるようになると、極めて重い資産になっているようです。
自分も三陸を訪れる度に各地の震災遺構に手を合わせてきました。しかし面白半分に行くのは不謹慎に思い、次第に足が向かなくなった施設もあります。
観光客誘致には極めて難しい問題となることも考えられます。
不謹慎ですが、遺構のそばに大型駐車場や道路を整備し、土産物店や休憩場・防災知識の啓蒙施設・町の情報館・・・を作るぐらいしないと町のためにはなりません。
しかし震災遺構はあまりにも心情的に重たく、観光客誘致の起爆剤になるか疑問ではあります。
すべての遺構は崩壊を防ぐために補修工事も完了し、半永久的に津波の恐ろしさを留めていくことになると思います。今となっては物理的にも心情的にも整理できなくなっています。
そんな中で、陸前高田の「奇跡の一本松」は前向きな象徴でとても良いと思います。この松も手入れする人がいないので、当初10年しか保存しないことが決まっていましたが、町の人の働きかけで保存が延長されることになり、大変うれしいことだと思います。
三陸では多くの人から話を伺えました。そっとしていてほしい人も多くいると思いますが、話してみると「語りたいのかな?」と思うことも多々ありました。それぞれの被災経験を「誰かに聞いてもらいたい!」と思っている人もたくさんいるようです。メディアを通さない生の声は心に残りました。
初めは何気ない思いつきで始まった三陸一人旅ですが、目的を決めずに無計画で出発しても、タブレットとカーナビがあれば何処へでも行ける時代になりました。非効率なルートを通ることも多々ありますが、そこには様々な出会いがありました。逆に綿密な計画をしてイメージを持って出かけると裏切られることになり、こんなに続かなかったのかもしれません。
同情するのでは無く、三陸が楽しいから行く。これからも、たくさんの出会いを楽しみにしています。
とは言うものの、交代のドライバーがいた方が休憩やルート検索・話し相手等の面で良いと思いますよ。ちなみに私は録音したラジオ番組を聴きながらニヤニヤしていました。
思わぬ展開で「イシカゲ貝」の生産者とお会いできることとなり、予定外の長期滞在となってしまいましたが、本日が本当に最終日となりました。
少し興奮していたのか 昨夜は寝付けず、早朝に約束なので貫徹に近い状態で朝を迎えてしまいました。
鶴亀鮨のご主人と予定の時間に港に行くと、生産組合の組合長の熊谷さんと息子さんが出港の準備をしていました。準備の忙しい中お話を伺えました。
すると今回お約束をしていた小泉さんの船が戻ってきました。入れ替わりに熊谷さんが収獲に向かいます。
家族総出で水揚げ作業です。
船から貝を降ろし~フルイで砂を落とす~選別~目方を量り小分けに袋詰め~1晩砂抜き
テキパキと作業していきます。1回で250Kg程度収獲され、1日で1.5トン程度出荷しているのことでした。
収獲してきた貝は黒いシミがついているのですが、砂抜きすると貝もキレイになるそうです。
イシカゲ貝は収獲までに2年の歳月がかかるそうです。天然の稚貝をここで採取して養殖場所の海に吊し、何回か選別をしたりと大変手がかかるそうです。
養殖が定着するまでには試行錯誤の繰り返しだったとのことです。定着する以前には、赤貝やトリ貝など様々なものを試したそうですが、トリ貝の養殖を試した中に偶々入っていたイシカゲ貝の稚貝を試してみたのが切っ掛けになったとのことです。
ちなみに、築地では「石垣貝」で通っているこの貝を以前は陸前高田でも「イシガキ」や「白トリ貝」と呼んで色の悪いトリ貝として人気がなかったそうです。
確かに、築地では震災直後に代用品で韓国産の冷凍や天然物も入荷がありましたが、色も身も薄いので使いませんでした。
2014年から始めた三陸一人旅も今回で6回目となりましたが、今回は偶然の成り行きで大変実り多いものとなりました。
まだしばらく続きそうです。皆さん忙しいところありがとうございました。また伺いますが、遊んでください。
今日は帰宅の日。名残惜しいですが海岸線を南下しながら、東京を目指します。途中、今まで訪れていた場所などにも立ち寄りながら、ゆっくり帰る予定です。
三陸道の整備もだいぶ進んできましたが、まだ部分開業です。三陸道の松島以北は無料で通れます。
でも、ナビは案内してくれないので標識だけが頼りです。
車からの眺めでの感想は、被災6年となり、復興が足踏みしているように思えました。
昨年との変化があまり感じ取れないのです。
この理由は後になって分かるのですが。
陸前高田に差し掛かるのはお昼過ぎだとナビ君が教えてくれたので、
昨年訪れた「鶴亀鮨」さんで昼食とする事とし向かいました。
鶴亀鮨さんに着くと暖簾が出てなく「休みか(>_<)」と思いました。
仕込み場の扉が開いていたので、挨拶だけと思い「お休みですか?」と声かけしたところ
「やってますよ!」の声がしました。
覚えているかな?と、恐る恐る入ると「あれ!神楽坂の八千代鮨さんだよね!」の声。
昨年1回しか来てないのになぜ?とうれしく思っていると「昨日、東京に電話したのに出なかったよね!」
と追い打ちをかける御言葉!!
続けて「雑誌に出てたでしょ!だから迷惑かなと思ったんだけど思い切って電話したんだよ」
(ちなみに、相手のセリフは東京弁に変換しています)
いっぺんに色々と話されて説明して頂いたのですが要約すると
某漫画誌に「イシカゲ貝」が出ているのを、ある北海道の人が見つけた
→その人が陸前高田の漁師に伝えた
→その漁師が鮨屋に来て大将に雑誌を見せた
→大将がそこに出ている東京の鮨屋は俺の友人だ!と言う
→じゃあ証拠を見せろと言うことで東京に電話した・・・というワケでした。
これも東京弁に翻訳していますが、大将の説明と一部相違があるかもしれません。
大将からは「イシカゲ貝」を宣伝してくれてありがとう!と言われてこちらが恐縮する次第でした。
いろいろと話をしていたところ、ヒョンな事からイシカゲ貝の生産者さんと連絡を取っていただき、明朝の水揚げを見せてもらえることになってなってしまいました。
なので、急きょ陸前高田にもう1泊する事になりました。ところが宿を探すもどこも満室か休業で困っていると、「うちに泊まっていけば?」との御言葉を頂き、厚かましくもお世話になることになりました。
左の写真は何とか鮫の心臓とか。鮮度も良く臭みがなく美味しく頂きました。
今年でこの仮説商店街の閉鎖が決定していて、この店も来年には、かさ上げした新しい商業地に移転する予定です。
しかし様々な理由で悩んでいるようです。
被災された市町村が復興を目指して計画をして工事を進めて来ましたが、6年が経過し事業が大詰めを向かえると現実が待ちかまえています。
金銭面でも既に大きな借金をしている上にまた借金をして返していけるのか?
そもそもお客さんや他の商店も戻ってくるのか?
自分の店だけが戻っただけでは商店街はできません。そもそもお客さんとなる住宅地にも戻ってくれないと商店の営業は成り立ちません。
被災地を見に来る観光客頼みでは永続的な経営は成り立ちません。・・・・・
今日は前回失敗してしまった、三陸鉄道 北リアス線の旅を行います。そのために昨日は遅くなったにも関わらず宮古に宿を取ったのでした。
昨日ガンバってもらった愛車にも、今日はしっかり休養を取ってもらうために駅前駐車場でしばしの別れです。
この駅前駐車場に入れて三陸鉄道を利用すると駐車場代が1日500円になるのも決め手になりました。
また三陸鉄道の北リアス線には土休日の一日乗車券があり、宮古~久慈間 通常3,700円が2,500円になります。
この日の運転手さんは若い女性でした。隣には指導教官なのでしょうか、年配の男性が座っていました。北リアス線はワンマン運転なので、停車すると運賃の受取も運転手さんが行います。
残念ながら雨のため景色は楽しめなかったのですが、1.5時間程で久慈に到着しました。
ここで困ったことに小袖海岸行きのバスが一日1往復しか無く、行きのバスには間に合うのですが、海女の実演を見ると帰りのバスが無いことがわかりました。
選択肢は
1.小袖海岸行きを諦め駅前をぶらぶらした後、宮古に引き返す。
ただし、帰りの電車は30分後で次はその2時間後になります。
2.小袖海岸に行き、海女の実演を諦め帰りのバスで戻ってくる。
3.小袖海岸に行き、海女の実演を見てタクシーで帰る・・・
悩んだ末「3」を選択し、バスの時間まで駅前を散策します。
少し見辛いですが、帰りの電車はお座敷列車とすれ違いました。潮騒のメモリーズは海女の格好をしていました。
おまけですが、帰りの電車が空いていたので、ボックスシートを占拠していたところ、若い女性3人組と相席になってしまいました。もちろんお互い寝たふりしていたので、一線は越えていません。それと証拠写真もありません。
そんなワケで宮古に連泊となりました。
前回は今年のGWに1泊2日の強行軍で不完全燃焼だったので、またも懲りずに三陸にやってきました。
今までの経験上、連休初日の深夜に出発すると大渋滞に巻き込まれるので、しっかり寝てから朝出発することに決めて、後はいつも通りのノープランの旅としました。
寝る前に渋滞情報をチェックすると東名道・中央道は渋滞が始まっているものの、東北道・常磐道はオールクリアなので、安心して就寝しました。
昨夜遅かったにも関わらず、6時に起きてしまい再度渋滞情報をチェックすると、東北道にも事故渋滞が始まっていたので常磐道ルートに決定し、ゆっくりと入浴&荷造りをしていると7時を回ってしまい、これが間違いでした!
みんな考えることは同じようで、今年の東北道・常磐道組は早朝発が多く渋滞が始まってしまいました。
途中のSAで初日の目的地を宮古に決定して、競走馬と一緒に渋滞に巻き込まれながら気ままな旅と思っていると、ドンドン渋滞が伸びてしかも渋滞の先には事故渋滞となってしまい、到着時間の見当が付かない状態になってしまい、宮古に到着したのは日付が替わりそうな時間となってしまいました。
今年は夜中に出発して仙台あたりで仮眠を取るのが正解だったようです。
新子は先週末より高値で安定してしまい、本日も仕入れをあきらめました<m(__)m>
この貝は本名を「エゾイシカゲカイ」と言いますが、肉厚で甘みがあり大変美味しい貝です。
詳しくは、こちらのリンクより昨年の記事をご覧下さい。
ぜひどうぞ!
新年おめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い致します。
また今年も細かい字で申し訳ありませんが、「文字が読めない!」というお声を多数頂戴致しましたので、恥ずかしながら最大限大きくしてみました。初春のひとときお付き合い頂き、ご笑覧頂けましたら幸いです。
さて、昨年の八千代鮨は主人の幸伸・長男の駿介・そして私 祐里、それぞれの仕事を淡々とこなしたように感じます。60年続いている八千代鮨らしさを失わないで、また駿介が修業先で習ってきた一品料理をお客様に喜んで頂けるようお出しすることを考えました。ランチのメニューに新しく、鯛茶漬け御膳も加わり、人気メニューとなりました。また一品料理として焼ごま豆腐は、喜んで召し上がって頂いてる定番料理となりました。3人で誰か一人でも欠けると回らない八千代鮨ですので健康に気を付けなくちゃと頑張っています。お客さんにもよく言ってもらえるのですが子どもと働けることは幸せだとつくづく思った年でした。
私事ではありますが昨年の秋には思い切って、22年間使ってきた店舗を改装し、2階のお座敷を掘りこたつ式にしました。1階の壁紙もキレイになりました。是非お気軽にご利用下さい。
父・母は引退したといえ とても元気で、父は趣味の尺八、また組合の仕事は引き続き頑張っている様子です。母もお茶の先生として日々忙しく過ごしています。安心して下さい。元気です!
三代目になる駿介は地域のイベントのお手伝いをさせて頂いたり、お客様と友達のようにお付き合いさせて頂き、交友関係も広がっているようです。また日々料理の勉強もして、旬の物を使って試行錯誤しています。初めのうちは、同じ和食でも日本料理と鮨屋の違いや家族で経営することの戸惑いがあったことと思いますが、修業先で覚えてきた料理やデザートもつくり、今までの八千代鮨では見られなかった料理もメニューに加わっています。新メニューも日々考えているみたいです。暮れの繁忙期には、宴会や出前の鮨を握るようになり、戦力になってきました。また、お馴染みさんにはご指名を頂いて握ってお出ししています。そして貴重なご意見を頂き、日々勉強をしています。これから本当の意味ででの自分の店となるよう頑張って欲しいと思っています。
主人は連休を利用してのドライブはまだ続けていて、富山湾でホタルイカ漁に同行させてもらい、とても刺激を受けました。また、深夜バスで仙台まで行った後レンタカーで東北を一周してきたり、駿介と連れだって能登半島を回ってきたりしています。
私は、大学の同窓会のお仕事を手伝わせて頂き、30年以上前の友達と再開して仲良くなれたのが、うれしい出来事でした。また、娘と連れだって色々なところに旅行しています。
今年も最後までお読み頂きまして誠にありがとうございました。恒例のキーワードですが、「焼ごま豆腐」といたしました。ご来店時に私たちにお申し付け下さい。土佐の桂月冷酒をサービスさせて頂きます。また、フェイスブックページにもアップ致しますので、併せて「いいね!」を頂けましたら幸いです。